とにかく、「イーハトーヴォ物語」は宮沢賢治の作品の世界観を前面に押し出したゲーム。作った人は宮沢賢治が好きで好きでしょうがなくてゲームにしちゃったのかな。だってこれ「こりゃあ売れる…!!」って思う人いないと思う。それとも当時は宮沢賢治ブームとかきてたんだろうか。謎。
先に弁明しておきますが、わたしはこのゲーム好きです。
えーと、お使いゲーです。めんどくさい人にとってはめんどくさいだけ。全体的に辛気臭いし。ゲームになった絵本の世界を眺める、っていう感覚でどうぞ。ツッコミ入れながらプレイしたら絶対ダメです。ツッコミどころ多すぎるから。
オープニング画面。
呪文か。始まって早々おそろしい。こんなの冒頭に持ってくるならまだ「雨ニモマケズ」のほうがよかったんと違うのか。こんなうす暗いゲームよく作ったな、モノ好きしかやんねーよ、と自分にツッコミながらプレイしました。
この文字が消えると、ポー……という汽笛の音が聞こえ、木々の間を縫っていく(んだかどうだかわからん)月に照らされた夜汽車が進むシーンに入ります。バックを流れるのは80年代風ドラマで母と子が意図しない別れを惜しんでいるようなそんなちょっと壮大で物悲しいBGM。たぶん母親はひとり汽車に乗り、遠くへ行ってしまうんですね…まだ幼い子どもは父親に抱かれ小さくなっていく汽車を追いかけることもできないままその小さな手を伸ばし…。っていうゲームには一切関係ない妄想が広がりました。
まず、主人公は「私」というおっさんです。地味。
マリオもおっさんだけど、マリオはキャラクターとして成立してる。このゲームのおっさんはあんなコミカルじゃない。くすんだ緑のコートの醸し出す雰囲気が陰気くさいおっさんなんです。パッケージも地味なら中身も地味…。
物語は、あてのない旅を続けていたおっさんがイーハトーヴォという街の駅に着いたところから始まります。あてのない旅をしなきゃいけない事情がこのおっさんにはあったんだろうか。犯罪に足突っ込んでないことを願うばかりです。
「童話の中から抜け出したような名前…一体どういうことなのだろう?」という台詞からも、おっさん自身わかっていないということになります。一体どういうこととか思うんなら降りなきゃよかったのに…。あと、わたしだったらイーハトーヴォっていきなり聞いたら怪しい宗教団体かなって訝しみます。
さて、駅にいる人に話を聞きますと、「この街は初めて? もし初めてなら、らすちじん協会の宮沢賢治さんに会っていくべきだ」と教えてくれます。他にも
「賢治さんはイーハトーヴォの誇りさ。詩人であり、童話作家であり、学校の先生をやっていたこともある。ぜひいちど、会ってみるといいよ。」
と言われたりなんかして、やっぱり製作者さんは宮沢賢治さん大好きってことがわかりました。とりあえず駅を出て、歩くの遅いなあ…と思いながらも街をぐるっと回って色々話を聞いてみることにしました。
「街の外にでても、どこにもいけないコトがあります。そんなときは街の人と会話して、道をききだすとよいでしょう」
なにそれこわい。
「賢治さん? ボクそんな人知らない」
良いこと言う。そう、街の誇りだからといってみんながみんな知っているかと言えばそんなことは決してないんです。
元気があればなんでもできる。
このイーハトーヴォという街ですが、かなり不思議な場所です。人間だけの街かと思いきや「ねこのじむしょ」という場所があって、入るとガチで猫の事務所だったり。シグナルとシグナレスという喋る電柱もあったりするんですが、知らない人にはサッパリでしょ? なんでそんな名前がついてるのか、何故喋るのか、説明は一切なし。サブストーリーとして全章に関わってくるので、気になる人はぜひ「猫の事務所」と「シグナルとシグナレス」を読んでください。
猫の事務所のみなさんと、シグナルさんを想うシグナレスさん。
そして、「らすちじん協会」という場所へ向かうわけですが、そこにいるはずの賢治さんがいません。そのかわりに、金髪の青年や明らかに農民っぽさを醸し出した訛ったオジさんがいました。さてそのオジさん、「私」に向かってこんなことをいうのです。
「詳しいことは知らねえだが、賢治先生が大切にしていた7冊の手帳がなくなったって話だ。あんた、旅の人だろう? オレのかわりに先生の手帳を探してきてくれねえだか」
なんでだよ。
得てして「魔王を倒せ」系のRPGは、なぜそこで唐突に頼む?!、というようなことが多々あります。でもなんかこれは違う!
いいの? そんな、どこの誰ともわからん旅人にそんなこと頼んで!
…まあ、これこそがゲームの目的なわけです。渋々「はい」を選ぶと、すぐに目的地を示してくれます。わかってんなら自分で行け。
そんなことより顔が近い。
ここから第一章のスタートです。今までのは序章でした、長くてすいません。
章は全部で九つ編成になっています。
第一章 貝の火
第二章 カイロ団長
第三章 虔十公園林
第四章 土神と狐
第五章 グスコーブドリの伝記
第六章 オツベルと象
第七章 セロ弾きのゴーシュ
第八章 雪渡り
最終章 銀河鉄道の夜
それぞれのタイトルになぞった話を、おっさんが体験していく……という感じ。ほとんどの話の元を知らないから憶測でしかないけど。
上記の中で、題名・中身共によく知ってる!、という作品はおありでしょうか?
わたしは「セロ弾きのゴーシュ」だけです。ひどい有様…。
しかし、章のタイトルになっている宮沢賢治の作品の中身を全て知っていて、普段からゲームをやる人で、これに興味を持つ人ってどれくらいいるんでしょう。正直、宮沢賢治を愛読してる人がコレやるのか?、っていうとちょっと疑問。
そして宮沢賢治に興味のない人がこのゲームを手に取るのかと言えばそれも疑問符の浮かぶところです。どんな層をターゲットにしていたんだか、謎。
では、ダラダラと中身に触れていくことにします。それぞれ適当にどうぞ。
第一章 貝の火 キツネが憎い。
第二章 カイロ団長 顔グラがリアルな話。
第三章 虔十公園林 これハッピーエンドなのか?
第四章 土神と狐 三角関係の妄想作文を書きました。
第五章 グスコーブドリの伝記 伝記って、おまえ…。
第六章 オツベルと象 象を大切にね!
第七章 セロ弾きのゴーシュ もっとも意味不明。
第八章 雪渡り 馬糞はまずい。
最終章 銀河鉄道の夜 ハッピーエンドって何ですか?
*まとめまで飛ぶ。
◆第一章
貝の火の森に着いてほらぐま先生と出会うおっさん。手帳のことを尋ねると、
「賢治さんの7冊の手帳? さあ…人の手帳のことなど私は知らぬよ」
とのこと。大体手帳7冊もいらんよな。先生はさらに言います。
「そのようなことなら、ウサギやリスたちのほうが詳しく知っておるはずだ。なに? 動物と話ができない? ううむ、今時の人間は動物と話ができないのか…それは仕方ないのう。あきらめなさい」
潔い! 惚れそうになりながら、それじゃ困ると頼むおっさん。
「それではみやげをもって出直してこい。人に教えを乞うときは、手ぶらじゃ相手にされぬものだ」
くっ、足元見やがって…人じゃないくせに…。
「みやげはなんだ? なに、忘れた? じゃあ何もおしえない」
みやげを持ってこないと、そう言い続けるかたくななほらぐま先生。森で強く生きていくためには必要なことなのかもしれません。
とにかく、土産に詩集を持っていくわけですが、そうすると「貝の火」という赤い火をたたえた美しい水晶の珠を持っていれば動物と会話できることを教えてくれます。それが納めてあるほこらのカギを渡してくれる先生。やっぱり土産は重要です。貝の火を取って先生のところへ戻ると、先生はこの水晶にまつわる話をしてくれます。
それが、ホモイというウサギの話です。
ホモイという勇気のあるウサギが、ある日ヒバリを助けました。ヒバリの王はそれを聞いてお前こそ動物の大将にふさわしいということで、ホモイは貝の火を譲り受けます。貝の火は心正しき者のみ持つことが許される大将の印。なんでそんなスゴイものを鳥が持ってんだって話なんですけど。そんで、最初のうちは謙虚だったホモイも段々その地位に慣れてきて大将って気分いい♪みたいな感じになってきたわけです。人間と一緒ですね。
そんなホモイを騙そうと近づいたキツネに煽てられ、まんまとキツネの手中にハマったホモイ。キツネはやりたい放題で、ホモイはもう口を出せない。いつの世もキツネは悪役なのが気になるトコですが、とにかくキツネは、以前ホモイが助けてあげたヒバリを捕まえてしまいます。なんでだか知らないけど。でもホモイは当時の頃の勇気はどこへやら、キツネに何も言えません。そのとき、貝の火には小さな曇りが……。
ホモイは父に叱られて(大将も親には勝てない)、やっとのことでヒバリを助け出すのですが、時すでに遅し、貝の火の炎はすっかり消えてしまいました。
それを見てホモイが泣くと、突然貝の火がはじけてその欠片が四方に飛び散ってホモイの目の中に飛び込み、ホモイはそれ以来目が見えなくなった、という哀しい……ってなんじゃこの話! こんな理不尽なことがあるか! 結局一番ズルくて悪いキツネは無事ってなんだこれ! 後味悪いにも程がある。
それでまあその後、なぜか復活していた貝の火をほらぐま先生が偶然見つけて、ほこらに封印しておいたよ、ってことでした。ホモイを騙したキツネに貝の火を見張るように言いつけて守っていたとのこと。
ホモイは死んじゃって、石碑建っちゃってんのに未だに生きてるキツネ。
え、なんか、随分最近の話だったの…? ここ数年のレベルの話? もうよくわかんないよ! あとなんかそんな重要そうなもの、詩集のみやげひとつで今日会ったばっかの人間に渡してんじゃないよ!
結局、森の動物たちに聞いても手帳の行方は分からず、ホモイの石碑に近づき貝の火をかざすとホモイの幻的なものが現れました。
「賢治さんの手帳は、イーハトーヴォのあちこちに散らばっています。貴方が心正しき者であれば、自然と手帳は貴方の元に集まってくるでしょう」
自分が悪かったと切々と語った後オマケで手帳のことを教えてくれました。自分を責めすぎるホモイ、せつねえ…。別にホモイが心正しくなかったわけじゃないのに…。
これで第一章終わり。終わり?! 終わりです。ここまで数分。
ありがとうホモイ! でもね、イーハトーヴォのあちこちに散らばっていることは解ってるよ!
貝の火を手に入れる前のおっさんと熊の図。
◆第二章
さて、街に戻ってほらぐま先生のとこへ行って来いと言った農家のオジさんの元へ戻り、ほらぐま先生は知らないって言ってたわよ! と伝えます。すると
「それじゃあ、今度はアリの女王に会いにいくといいだ。街のウワサによると、アリの女王が先生の手帳をひとつもっているらしいだ」
じゃお前行けよwwwwwwwwww
部屋の中ふらふら歩いてるだけでヒマそうじゃねえか! …とにかく向かいます。
現代の若者に対する言葉なのかもしれません。
アリの女王様は、いいアリのようですがそれが災いしてカイロ団長って奴に騙されているらしいのです。何をどう騙されているのかはわかりませんが(たぶん働きアリが作った酒を安く買い叩かれてる)、とりあえずアリの女王の顔グラが妙にリアルで気持ち悪い。
心配する働きアリの皆さま。
手帳は知らないけど、カイロ団長がそんなようなのを拾ったらしいと聞いておっさんは街へ戻ります。それにしてもなんで団長なの?
カイロ団長の店(いわゆるぼったくりバー)に行ってみると、アマガエルがグダグダに酔っぱらってカウンターに伏せっていました。カイロ団長の店はカエルを相手に商売しているのです。そう、カイロ団長はカエルだったんですねー。これもまた顔グラがリアルで気持ち悪い。
「アマガエルにしこたま酒を飲ませて大金をふっかけるのよ。どうせこいつらにゃそんな金は払えやしない。それをカタにこいつらをドレイのようにコキつかってやるのさ。ガーッハッハッハッ」
どのようにコキ使うつもりかわかりませんが、高笑いする団長に手帳のことなど聞いても何も答えてくれません。団長の弱点がキノコであることをつきとめ、それを突きつけて手帳のことを尋ねると、アッサリと渡してくれました。
このリアルなドット絵…。
「この事件の後、カイロ団長の店はひょんなことから評判を落とし、あっさりと潰れてしまった。弱いものから金を巻き上げるような者には、いつも何かの報いがあるものだ。今、カイロ団長は心を入れ替え、外国でカクテル作りの修業をしているらしい」
っていうか、事件だったんだ…。ひょんなことって何だったんでしょうね。
カエルが修業するのを受け入れる外国があったことのほうがよほど事件だと思います。
このあと、今まで騙されていたアリの女王はどうなったのか? 商売相手がカイロ団長しかいないような口ぶりだったけど、その後の生活は大丈夫なのか? それらのことは全てわかりません。このゲーム、章が終わると用がなくなった場所には行けなくなってしまうので、その後どうなったかは謎です。
◆第三章
章の始まりはいつもホテルのベッドから起きるところからスタートします。泊まると言った覚えはないけど。
ホテルを出ると、「猫の事務所のかまネコが呼んでたよ」と通りすがりの男の人に言われ、事務所に向かうおっさん。そこで、
「7つの手帳のうち1つを、虔十(けんじゅう)という少年が持っているようですニャ。虔十の住んでいる村は街の北東にありますニャ」
と教えてくれますニャ。かまネコは萌え系のハシリだったのかもしれないニャ。
ケンジュウの村へ行くと、ケンジュウは泣いていました。村人に話を聞いてみると、どうやらケンジュウが泣いてる原因は、父親に買ってもらった「スギ苗」を無くしてしまったためらしいのです。
子どもの謎の認識と、ケンジュウの顔が……うえっ、うっ、ひぐっ、
というわけで、探してあげることに。村と街を何回も往復し話を聞いていると徐々に会話が変化していき、どうやらケンジュウの隣に住んでいるヘイジが怪しいことが判明。ヘイジは、ケンジュウがスギ苗を育てると自分の畑に日が当らなくなることを嫌がっていたんです。だから、ヘイジがスギ苗を隠したということらしい。グラフィックを見るに、いいオッサンなんですけど…いい大人がよくやるよ。
しかし、それを伝えてもケンジュウは泣いてるばかりで話にならず、ケンジュウの家族は「お隣さんを疑うなんて…」と渋っています。
このヘイジという男、一人暮らしをしている「人間嫌いの偏屈者」で村のみんなに嫌われているらしい。だったらもう乗りこんで責めちゃえよ、と思いながらケンジュウの犬に話を聞くと(一章で預かった貝の火があるので動物と話が出来ます)、ヘイジの畑に埋まっていることがわかり、その場所まで案内してもらいスギ苗をゲット。
そしてヘイジにスギ苗をつきつけ詰め寄ると、今まで素知らぬ顔で「おまえは虔十のアタマがビョウキなのしってるか?」なんて言ってたくせに
「そ、その苗は…お…俺の畑を勝手に掘ったな!」
明らかな動揺を見せガクブルしたかと思うと
「うわーっ!」
と叫んで家を飛び出してしまいました。
しかし、スギ苗を手に入れたものの土に埋められていたそれは既に枯れており、父親はもう一度スギ苗を買うお金もないし、どうしようもないとのこと。ケンジュウは泣いているばかりです。辺りは木に囲まれてるのにスギに拘る理由もよくわかんないんですけどね。
そして父親、「私には、その苗を生き返らすことはできないですじゃ。ただ、村の北のカシの木に棲む年老いたフクロウなら、スギ苗を生きかえらせることができるかもしれませんじゃ」って、それ、何、行って来いって?
フクロウに事情を話すと、苗を復活させる方法はケンジュウに直接教える、と言っておっさんは教えてもらえず、フクロウとケンジュウの姿を温かい目で眺めながらその村を去るのでした。
そして七日が経ち、村へ行くとスギの苗が育っていて、ケンジュウにお礼を言われ、手帳を受け取りましたとさ。
スギの苗は大きくなって、人々の憩いの場所になったんで、持ち主の名前をとって虔十公園林と呼ばれるようになりいつまでもみんなに愛された…という美談のようなんですけど、「うわーっ!」と叫んで家を飛び出したヘイジの行方は誰も知らないそうです。コエーよ。
◆第四章
ドロドロの三角関係が生んだ悲劇のストーリー。
登場人物は土神、樺の木、キツネです
シグナレスといい樺の木といい、擬人化の原点はここに…ないんでしょうけど。
おっさんはさしずめ家政婦は見たの市原悦子状態であった。
樺の木
土神、キツネから想いを寄せられている罪な木。本人は自覚しているのかいないのか、はたまた気付かないふりをしているだけなのか。博識なキツネの話を聞いたりキツネに借りた本を読むのが好き。土神のことは少し怖いと思っている。
キツネ
「キツネさんて何でも知っていて、いつもいろんな話をしてくれるんです」「キツネさんは色々なものを持ってらっしゃるんですよ。外国の本とか、珍しい機械なんかもあるんですって」とは、樺の木談。
部屋はいつも閉まっていて入れない。何かと忙しい生活を送っているらしい。
土神
一見原始人。キツネをうそつきと罵り、樺の木にドン引きされている。
「樺の木は、オレよりキツネのほうが立派だと思っているようだ。確かにオレは何も知らぬし、何も持っていない。それは解っているが、そのことを考えると何ともやり切れぬ気持ちになるのだ」と言っているように、樺の木に惚れている。
――今日も樺の木とキツネは二人で語り合っていた。キツネは博学で、星のこと、望遠鏡のこと、芸術のこと、さまざまなことを面白く話して聞かせた。
「私がドイツに注文した望遠鏡が届いたら一緒に星を観ましょう」
キツネは言った。樺の木は自らの葉を揺らし、嬉しそうに笑うのだった。樺の木はキツネを親切でいいひとだと信じて疑わなかった。いつだって楽しい話を聞かせてくれるし、動けない自分のために面白い色々な品を持ってきてくれる。この間は外国の図鑑や素敵な物語を貸してくれたのだ。樺の木はキツネと会うのが楽しみだった。
それを、土神はよく思っていなかった。いつも二人の様子を遠くから眺めては悔しそうに唇を噛んだ。土神には知識がなかった。キツネのいうような望遠鏡などというものも持ってはいない。土神は神で、キツネはただの動物だというのに樺の木ときたら神よりもちっぽけな動物に夢中なものだから、たまらなかった。たまらなく悔しく、憎く、そして哀しかった。
すっかり元気をなくしていた土神のもとに、実に久しぶりの供え物が届いた。それは土神の好物の饅頭だった。一口含むと、口中に心地よい甘さが広がって、尖っていた心が徐々に落ち着いていくのを感じていた。そうして気分をよくした土神は、新たな気持ちで樺の木に会いに行くのだった。しかしそこには既に、キツネの姿があった。土神は身体を固くして、樺の木とキツネの様子を見つめる。
「――本当の美とはすっかり出来てしまったモノじゃないんです。シンメトリーの法則に叶うと云ったって、少しばかりシンメトリーを持っているというぐらいがちょうどよいのです」
「ええ、本当にそう思いますわ」
なんでも知っている風に話すキツネの顔が、土神にはとても憎らしいものに見えた。そして、キツネの言葉に同意するように言葉を紡ぐ樺の木の姿は、胸を苦しくさせる。
「どの美学の本にも、これくらいのことは書いてあります」
「美学の本はたくさんお持ちですの?」
「……ええ、持ってますよ。イギリスとドイツのなら、大抵はあります。イタリアのはもうすぐ取り寄せます」
「ドイツの望遠鏡はまだ来ないんですの?」
「ええ、まだ来ないんです。ドイツの望遠鏡は評判が良くてなかなか手に入らないんです。なに、きたらすぐに持ってきてお目にかけますよ。――ああ、こんな時間だ。……それではちょっと調べ物があるので私は失礼します。後で美学の本を持って来ましょう」
そう言って、キツネは笑顔で樺の木の元を立ち去った。その様子を息をつめ、黙って見ていた土神は、握りしめていた拳をぶるぶる震わせた。自らの祠に戻りながら、脳内をめぐる様々な感情の対処に戸惑っていた。祠に戻り、腰をおろしても落ち着かない。オレよりキツネの方が偉いのか? オレはキツネより劣るのか? 美学などオレにはわからぬ。一体どうすればよいのだ……。答えをくれる者はいなかった。
「こうなったら……キツネを殺すしかない!」
土神は吠えた。そして気付けば、キツネの家に向かって走り出していた。
……――土神が理性を取り戻したとき、目の前にはキツネの姿があった。カモガヤの穂を握りしめたまま、仰向けに倒れて、目は閉じられ、息をしていないキツネの姿。ぜいぜいと荒い息を繰り返しながら、額に浮いた脂汗を拭うのも忘れ、土神はキツネの家のドアを開けた。たくさんの珍しい本や機械が詰まっているはずのキツネの部屋の中は、がらんとして何もなかった。ただ、簡素なテーブルの上に、一本のカモガヤの穂が輝くばかりだった。
土神は、膝をついて呆然と空(くう)を見つめた。そこにはもう、本当に、何もなかった。
ちょうどそのとき、樺の木はキツネに借りた本を読んでいるところだった。しかしページをめくった次の瞬間、分厚く重たかった本は、軽く頼りないカモガヤの穂へと姿を変え、風に乗って空へと消えてしまった。樺の木は困惑し、ざわついた胸騒ぎに誘われるようにしてキツネの家の方へ視線をめぐらせる。樺の木には、何も見えなかった。
…っていう超鬱展開だったので、妄想作文でお送りしました、若干の脚色は許して下さい。要するにキツネはウソをついていて、それが原因で土神に殺されてしまったんですね…。ホントは本も望遠鏡もひとつもなかったけど、樺の木にイイトコ見せたかったんだよね、きっと。鬱だわ。
キツネの家には手帳がありまして、おっさんはちゃっかり手帳を頂きました。
嘘をつくのは何もキツネたけではない。そして嘘をつく者はいつも、自分の嘘に苦しむものだ。茫然と立ち尽くしている樺の木を残して、私は土神の森を後にした。
と、おっさんは締めくくりました。そりゃその通りなんだけど、それでいいのかっていう。おっさんはずっと事の顛末見てたのに結局見てただけだった。
◆第五章
夏だというのに寒い日が続いているそうです。どうやら異常気象の様子。おっさんがここへ来たときは春でしたから、いつの間にか時が経っていたんですね。プレイ時間が一時間ほどだとしても。
街で情報収集していると、異様に火山局のグスコーブドリの話が出て来ます。フラグばんばん立ってますね。火山局の場所が分かると、おっさんはこう言った。
「手帳に関する情報はこれといってなかったが、私はとりあえず火山局のある村へ行くことにした」
もうなんでもいいんじゃねえか。
火山局のある村に着き、グスコーブドリと宮沢賢治が会っているという情報を手に入れて行ってみると、もう宮沢賢治の姿はなく、「らすちじん協会」に戻ったらしい。なんつーすれ違い。ドラクエUみたい。
っていうか、グスコーブドリって若者だった。鳥じゃなかった…。
そして協会に戻ると、おっさん宛てに賢治さんからの手紙が。
「手帳を3つも集めてくれてありがとう、7つ集めたら協会に来てください」という内容。だからなんなんだよこれ^p^
その上、追伸で「グスコーブドリの力になってください」とある。
手帳を探すはずだった農家のオジさんを怒る方が先だろうが、なんでオジさんに手紙預けてんだよ! ぜいはあ。まあいいや、火山局へ向かいます。
火山局では、グスコーブドリと博士がこの飢饉をいかにして乗り越えるかの話し合いをしていました。出た案は、火山局の村から出ている船でカルボナード島へ行き、そこの火山を人工的に爆発させて炭酸ガスを噴出させて温度を上げるというもの。しかしそれには誰か一人が火口に残らねばならず、下手すると溶岩に飲み込まれて死んでしまうという危険が。博士はそのことを考え懸念しますが、グスコーブドリは15年前の飢饉のように(15年前もあったそうです)人をたくさん死なせるわけにはいかないと熱弁をふるいます。実はグスコーブドリの両親は、そのときの飢饉で亡くなっていたのです。
で、結局島へ行くことに。おっさんも助手として同行することになりました。ただのおっさんがどんな役に立つんだろうね。
誰も死なせないために安全な方法を考えるとか言ってたんですけど、その方法はごく原始的なもので「火薬を少なめにする」というもの。嫌な予感しかしませんね。起爆装置のスイッチはグスコーブドリが押すことになり、博士とおっさんは一旦島を離れ、火山が爆発したのを確認して島に戻ることに。嫌な予感しかしませんね。
嫌なフラグしか立ってない図。
はい、お察しの通りです。グスコーブドリは、おっさんたちが引き上げたあと火薬の量を増やし、確実に噴火するようにしたらしい。噴火が激しく、もうおっさんたちは島へ行くことはできませんでした。くず折れるグスコーブドリの妹、ネリ。両親もなくなり、兄までなくして妹はこれからどう生きていくのでしょう。これは島に一人残して帰ってきた博士とおっさんが悪い。人びとを救うためとはいえ、一番身近で大事なはずの妹の気持ちを汲まなかったグスコーブドリもいかん。
それでも妹の気持ちは救われんだろ…。
その後、ホテルに戻ったおっさんの元へネリがやってきました。復讐を果たすためかと思いきや、「兄の遺品を整理していたら、こんな物が出てきたんです。この手帳はあなたに差し上げます。色々ありがとうございました」
うん、ちょっと待って。おっさん、何もしてない。あと、いきなり手帳渡す意味がまったくわからない。それか、あれか、このありがとうは憎しみを込めた厭味なのかもしれない。この妹はおっさんに憎しみを抱いてもいい。
……きっとこれが第一章でホモイが言っていた「自然と手帳は貴方の元に集まってくるでしょう」という意味なのでしょう…。
かくしてイーハトーヴォは飢饉から救われ、その秋は豊作だったそうです。鬱展開ばっかでそろそろピキピキしてきたぞお!
◆第六章
六章に入る前に一つ。カルボナード島はなくなったそうです。以上。
カイロ団長が帰ってきました。「どうぞごゆっくり」なんて言っちゃって、いいカエルっぷりを発揮してます。安くておいしいカクテルの店だそうですが、こんな短期間の修業だったとは思いませんでした。五年くらいやってくるもんだと思ってた。
さて、イーハトーヴォで一番の商人であるオツベルという人物が手帳集めが趣味ということで、オツベル邸へ向かいます。とってつけたような趣味だな。
このオツベル、アマガエルにまで「嫌な奴」とか言われてるくらいだからきっとロクな奴じゃないんでしょう。
オツベル邸の敷地はケンジュウの村や火山局の村と大差ない広さなので相当でかいことが窺えます。庭にはいくつもの畑と小屋がふたつあって、雇われ従業員たちは「人手が足りなくて大変」なんて言ってます。物語にはよくある、最後ロクな目に会わないケチな金持ちなわけで。嫌な予感がします。
オツベルは初対面のおっさんに対して「いい儲け話はないか市役所に行って聞いてきてくれ」なんて言ってくるあたり、頭がちょっと可哀そうな人なのかもしれません。
自分でこんなことを口走る奴はヤバイ
ところで、オツベル邸の隣には象の森があります。白象、黒象と、普通の像が暮らしている森です。白象は好奇心旺盛で、オツベル邸に遊びに行っては働く人々の姿を眺め、面白いと思っていました。そんな白象を横目に、おっさんは街へ戻り儲け話のないことを確認し、オツベル邸を再び訪れました。するとそこにいたのはオツベルのために働く白象の姿。従業員たちも助かると喜んでおり、オツベルに至っては「あの象を使って金を稼ぐのさ!」と笑っている。もうこの章の結論が見えた気がします。
そしてオツベルはおっさんをまたもコキ使います。象にプレゼントするための「ブリキの時計」と「大きな靴」を探してこいというのです。どんだけだよ。
二つのプレゼントの意図は最低で、時計に100キロの鎖をつけて首にかけ、靴にはおもりをつけて逃げられないようにするためというもの。一日たった数本のワラをやるだけで白象はたくさん働いてくれているわけですから、逃げられては困ると考えたオツベルは汚い人間の代表みたいな案を思いついたわけです。で、それを聞いても黙ってモノを用意するおっさんもどうよ。プレイするの心苦しいよ。
一週間後、白象が心配になって、夜遅くにオツベル邸を訪れるおっさん。自分で時計や靴を用意したくせに。当然ながら白象は疲れ果て、死ぬ寸前の状態になっていて、「助けてほしい」と弱弱しく呟きました。おっさんが象の森へ行き、白象の様子を象たちに伝えると象たちは怒り狂い、オツベル邸に向かって走り出しました。
おっさんが後から行ってみると、既に屋敷は完全にぶっ壊されてがれきまみれ。象たちは口々におっさんにお礼を言いましたが、おっさんもオツベルに加担してましたよ?
黒象が「お礼にいい事を教えてあげよう。オツベルは珍しい手帳を集めていたから、瓦礫の下を探せばきっと何か見つかるよ」
まあ親切! っておい。
つーか、たかだか手帳を手に入れるためにいくつの命が消えているんだか…。オツベルがなんで宮沢賢治の手帳持ってるんだとか、激しく思うけど謎は謎のままなので深く突っ込む気もしなくなってきた。オツベルは無論、瓦礫の下に埋まって死んでしまったワケです。ホント後味の悪い話ばっか。
お金儲けに夢中になったオツベルは象に倒された。いつの時代も、他人を顧みない者が長く栄えたためしはない。
とおっさんは偉そうに締めくくってやがりますが、おっさんはそろそろ自分の行動について良く考えてみてください。
◆第七章
季節は秋。イーハトーヴォでは音楽祭の季節で、みんなそのことばかり話しています。毎年イーハトーヴォの街の活動写真館でコンクールが開かれるのだそう。街の楽団は、今年も優勝するぞと意気込みますが、ゴーシュの調子がよろしくないってんで周りは心配しております。そんな中、ゴーシュと宮沢賢治が知り合いなのを聞いて、おっさんは会いに行くことに。
ゴーシュの住む村に行くと、調子のよくない原因が発覚。
それはカッコウが病気になって自分の家に来てくれなくなった所為でセロの練習をしなくなったから。薬をあげ、カッコウが元気になると、セロを弾き始めたゴーシュ。タヌキやネズミなど、いつもの練習仲間も戻ってきました。
動物と練習するゴーシュさん
動物たちとの練習のおかげで、コンクールで上手に弾いて楽団は優勝。アンコールで、一人セロの演奏をするゴーシュ。拍手喝さい。
が、コンクール後、ゴーシュは突如行方不明に。どうやら宮沢賢治に会いに行くと言っていたらしい。家に行ってみると、確かにいない。そこにいたのはいつもゴーシュの家にいた猫だけ。猫はおっさんに一通の手紙を差し出した。
「僕は旅に出ます。もしよろしかったら、この部屋の物は全部あなたにあげます。色々お世話になりました。では、また会う日まで、さようなら。ゴーシュ」
ゴーシュの残した木箱を開けて中を探ってみると、一冊の手帳が。おっさんは手帳を手に入れ、ゴーシュの家を後にした。
ある晴れた秋の日、弾き慣れたセロを相棒にゴーシュが突然旅に出た。その行き先は誰も知らない。
哀愁漂う背中を向けて、おっさんはこの章を締めくくった。
……。
………。
…………もうね。色々お世話って、え、なにが?! おっさんあんたには何もしてないですけどwwwwwwwwwもうwww笑いしかwwww出てこないwwww
ふう。
◆第八章
季節は冬になりました。イーハトーヴォに住む人々はほとんど、冬になると南へ行き、春まで戻ってこないようです。みなしごと言っていた子どもでさえ南に行くらしい。外を出歩く人もいません。「活動写真館と自宅を往復するのが趣味」と自ら自己紹介する意味不明な男性も、冬は家の中にいます。家の中を往復しています。
冬になると、ゆきわたりの村は一面雪に覆われて綺麗な景色が見られるらしいという情報を仕入れたおっさんは、早速村に行くことにしました。
うん、もうどんな理由でも構わないよ。そこに手帳があるんだろ。
村は一面雪景色。平和な雰囲気が漂っています。キツネ村のキツネは悪くないもん!と主張する兄妹もいます。そうだね、今までちょっとアレなキツネしか出てないから一度くらいいいイメージのキツネ出さなきゃね。
シロウくんとカン子さん。
馬糞をまんじゅうだと思いこんで食って、マズイ!とか当たり前のこという酔っ払いが出てきたり、そいつが翌日になってキツネに騙されて馬糞を食わされたと怒ってキツネを捕まえる罠を張ったりですね。食う前に匂いで気付け。その罠に引っ掛かったキツネを、おっさんとシロウとカン子が助けてあげたのでキツネに感謝されてキツネ村というところで開かれるお祭りに招待されました。普段は12歳以下の子どもしかキツネ村に行くことができないらしいので、これはすごいことのようです。キツネ村に行きたい大人はキツネを助けてあげましょう。ヒバリを助けるとホモイのようになるから要注意!
そこで出されたまんじゅうを、馬糞だったらどうしようとか思いつつ食ったらちゃんと美味しいまんじゅうで、それを見てキツネが「人間の大人が我々を信用してまんじゅうを食ってくれたから我々も悪いことをせずキツネは良いものと思われるよう頑張ろう」とキツネの仲間たちに説きます。
最後に「昔人間がキツネ村に来たときに置いていった物ですが、人間のものは人間にお返しします」といって手帳をおっさんにくれるという話でした。Aちゃんの落とし物をBくんに返す的な。
だいぶ適当になってますか? でも要約するとこういうことなんです。
そしてついに手帳が七冊揃いました、ワーイうれしいな。
◆最終章
やっと最終章です。手帳が揃ったので、早速「らすちじん協会」に向かいます。すると宮沢賢治からの手紙を渡されます。またか。
内容は「手帳が七冊集まったら同封してある地図の示した場所まで来てほしい」というもの。その後生車の地というところへ向かうと、へんなオブジェがぽつんとあるだけの淋しい場所でした。このオブジェが後生車ってヤツなんだろうか。近づいてみると、
「これは<ごしょうぐるま>です。
イシのしゃりんをまわしながらいのれば、アナタのねがいがかないます。」
という文字が。
あやしすぎる。このツボを買えば幸せになれますと同レベルの怪しさ。
…まあ待て、その前に後生車ってなんだよ。と思い調べてみると「寺や墓場の入り口付近に置かれている輪のついた石もしくは木製の柱のこと。輪を回すことで死者に呼びかける目的の他、吉凶や天気を占ったり百度参りに使用する場合もある」という、本気で嫌な予感しかしない結果が。ウィキペディアさんありがとうございます。
で、しゃりんをまわしながら、とあるのですがどうやら車輪がついていない。宮沢賢治とも会えず、何もないところにいても仕方がないので一旦街に戻ることにしました。
街に戻り、色々話を聞いて回るとグスコーブドリの章でグスコーブドリをほぼ見殺しにしたと思われても仕方がない博士が、おっさんに銀河鉄道の話をしてくれます。
博士の語る銀河鉄道とは、
・銀河鉄道とは片道通行の不完全な乗り物であり、二度と帰って来られない
・汽車には、幻想第三次(イーハトーヴォのあるこの世界)から乗ることは出来ない
・汽車に乗るなら幻想第四次という幻想第三次とは違う性質を持つ世界に行け
・幻想第四次に属するもの=すでにそこになきもの(それってつまり…)
・幻想第四次に行くためには後生車の車輪をまわさなければならない
というものらしい。
これを聞いておっさんは、ビビるどころか「後生車は異世界への通路だった! 後生車の謎が解けた!」と言って喜び、車輪を探しにいきます。あほか! もどってこれねっつってんだろwwwww
車輪は街の住人が持っていました。どうやら勝手に持ってきて保管していたとのこと。なんだそれと思いつつ、賢治さんに会うために必要だとおっさんが頼むと「それじゃあ仕方ないな。さあ、持っていきたまえ」と、勝手に持ってきたくせに随分な態度で車輪をくれました。
そしておっさんは、後生車の地へ戻り、車輪を取りつけてまわします。<げんそうだいよんじ>への道がひらけるように念じながら……。
…気がつくと、おっさんは見知らぬ街にいました。そう、ここが幻想第四次です。
さあ、いよいよヤバイ予感しかしませんね?
銀河ステーションホテルというとってつけたような名前のホテルのまわりに、ぽつぽつと無造作な並びで家が建っています。
さて、このヤバそうなニオイがする街の住人をご紹介しましょうッ★ミ
◆「私はサウザンクロスへいきます。私の役目は終わったのです」となんか悟ってるホモイ。
◆「こんばんは。なんとも美しい夜ですねえ。かもがやの下に隠しておいた手帳は受け取って頂けましたか?」と訊ねてくる土神に殺されたキツネ。
◆「こんな所で貴方に会えるなんて…あれから随分長い時間が過ぎたような気がします」と、自分がこれからどうすればいいのかわからず迷っているグスコーブドリ。
◆「たくさんの象に襲われて…気付くとここにいたんだよ。しかしここは変な街だ。どこに行くこともできないし一日中暗いんだ」とぼやくイヤな金持ちだったオツベル。
◆「あれからあっちこっちフラフラしながら暮らしてたんだがある日チフスにかかっちまって随分苦しんだだ。もうだめだと思ったらすうーっとラクになって気がつくとここにいただ」と、何故ここにいるかわかっていないのにこの街を気に入ったなどと言ってのけるケンジュウの苗を隠したヘイジ。
◆「オラ、び、病気になって、気分がわるくて、気が遠くなって、気がついたらここにいただ」と、なんか一番不憫なケンジュウ。
他、自分がなぜここにいるのかわかっていない住民の皆様のことは割愛いたしますが…とにもかくにもそういうコトです。
幻想第四次は要するにそういうトコロです。
重い足取りでホテルに向かうと、そこには行方不明になったゴーシュが。賢治さんが上の部屋で待ってるよ、と教えてくれたので促されるままに上へ。すると…。
いました。賢治さんです。
おっさんは七冊の手帳を宮沢賢治に渡し、帰るのかと思いきや、宮沢賢治に連れられて銀河ステーションへと向かいます。駅員が、切符を見せてと言うのに対し、宮沢賢治は七冊の手帳を差し出します。これが切符の代わりらしい。
駅員は「おお、これは…」と意味深な台詞を呟き、「どうぞ、中へ」と宮沢賢治を改札の中へ送りました。おっさんは切符なんてないお(;ω;)とオロオロしますが、無意識に懐の中を探したら不思議な形の切符が見つかります。それを駅員に見せると駅員は一瞬緊張したような顔つきになり、「むむ…こ、これは…」とか言いつつ、通してくれました。
改札からホームまでの間、こんな道を通ります。
もうさwwwwwwwwwwwwwwこれwwwwwwwおまwwwww
完全にヤバイ道じゃねえか^p^;
ホームにつくと既に汽車はきており、入り口で宮沢賢治がおっさんを待っていました。そこで宮沢賢治は「これが銀河鉄道の汽車です。これから私はこの汽車に乗り、ある人に会いに行きます。そこで最後に、貴方に訊ねておきたいことがあります」と言っておっさんに三つの質問をするのです。ある人が誰なのかは謎です。
これにどうこたえるかによって、エンディングが分岐します。どっちに転んでもハッピーエンドとは思えない怖ろしい分岐です。
・あなたには、会いたくても会うことのできない人がいますか?
・では、あなたには、未知なる世界を旅したいという気持ちはおありですか?
この時点で「いいえ」を選択すると宮沢賢治を見送るエンドです。
「はい」を選択すると、
・そうですか。もしあなたがよろしければ、これから銀河鉄道に乗って一緒に旅をしませんか?
と聞いてきます。これに「はい」と答えれば、宮沢賢治は「きっとそうおっしゃると思っていました。さあ、いきましょう」となり、一緒に汽車に乗り込むエンドです。ここでいいえと答えるとさっきと同じ見送るエンドです。
見送るエンドは、汽車に乗らず見送って終わりです。おっさんはホームに立ちつくし、空をゆく不思議な汽車を見送るのです。おっさんを幻想第四次に残したまま、みんな汽車に乗っていっちゃうわけです。おそろしい。
一緒に乗るエンドでは、汽車の中を歩くことが出来ます。さきほど紹介したこの街の住民たち、ヘイジ以外の者たちがみんな乗っています。ヘイジは前述のとおり人間嫌いの偏屈者ですからね…。
みなさん「サウザンクロス」というところに向かうようです。あ、でもなんか「ハクチョウ駅」に行くとか言ってるやつもいるけど違いがわかんねえよ。まーサウザンクロスは天上を指しているらしいから、なんだろ、天国…?
最後までホモイは何か悟っていて「賢治さんの七冊の手帳と今あなたの持っている特別な切符があれば幻想第四次のどこへでも行けますよ」と教えてくれます。どこへでもって言われても…。幻想第三次に帰りたいです。
そして賢治さんに「銀河鉄道の果てに何があるのか、一緒に旅をして確かめてみましょう」という、宮沢賢治とおっさんではなく、若い男二人の旅だったら萌えるんだけどねと感じざるを得ない台詞と共に、汽車は出発するのです。
第一章でほらぐま先生から預かった貝の火、もう一生返せません。
おっさんたちを乗せた銀河鉄道が、汽笛の音を響かせながら夜空に舞いあがる。おっさんは、宇宙がすぐ近くまで押し寄せてくるのを感じていた――。
イーハトーヴォ物語・完。
やっとおわった。プレイ時間に反して、この文章の長さ…。
…つまりおっさんは最初から死んでたってこと? そして知らないうちに宮沢賢治も死んでて、おっさんが死んでるってことを知ってたからここへ連れてきたとか? それともホテルにいた面々(宮沢賢治・ゴーシュ・ついでにおっさん)、つまり幻想第四次の世界で家を持っていなかった人間は、生きているけど銀河鉄道に乗りたくてやって来てしまった人たち、ってことなんだろうか。
それとも、車輪を回してやってきたおっさんだけが生きていて、あとはみんな亡くなっていたとか? だって、車輪を回さなきゃ幻想第四次にこれないはずで、でも車輪は街の住民が持ってたから、宮沢賢治は回せないわけで、回せないってことは生きていたら幻想第四次に来れないってことじゃ…ないの…? 後生車は各地にあるからそっちで回したって?
わからん。鬱ゲーであることしかわからない。
◆まとめ
宮沢賢治の世界観を知らずにプレイしますと、ただのお使いゲー&鬱ゲーでした。お疲れさまでした。
ここまでとんでもなく長い駄文をだらだらと綴ってきたわけですが、大変落ち込むゲームでした。
このゲームをプレイするのは初めてじゃないんですが、そのときはこんなに鬱だなーとは思わなかったんですよね。最後が納得いかないけど、これはこれで良いゲーム!って感じていたはずなんです。感想を書くためにいちいち台詞等を書きとめながらプレイしていたら突っ込みどころ満載で、以前のような気持ちでゲームを終えることはできませんでした。
宮沢賢治作品を知っていれば、どの章の結末にも納得がいったのかもしれませんね。見えてくるものも全く違ったかもしれません。
イーハトーヴォ物語のテーマはたぶん、因果応報とか、自己犠牲とか、生きることと死ぬこととか、そういうことだと思います。それらが淡々としすぎてて逆に重くて、鬱オーラがはんぱなく漂ってるんですよ。音楽もとてもいい曲ばかりなんですが、どれもどこか切なくて物悲しい雰囲気を背負ってるわけです。伝えようとしているテーマは人間にとって大切なことであることはわかりますが、これが面白いのかどうかという点については疑問が残ります。少なくとも愉快ではないですからね。
本を読むことを敬遠しがちな子どもたちにプレイしてもらい、宮沢賢治という人物や作品に興味を持ってもらおうという狙いもあったのかもしれませんが、これはたぶん逆効果。だって知らない人がやっても面白いどころか暗くなるだけだから。
全章を通して語られるサブストーリーもあるのですが、こちらにしても宮沢賢治作品を知らない人にはサッパリで、作品を知らない人を惹き込む魅力があるかというと、難しい。知らない人は突き放されている感じ。なぜそういう結果に至ったのか、謎のままですからね。その突き放された感を払拭するために物語を読んでみようと思う人が多ければ成功ですよね。
ゲームとしての評価を考えるならば、完全な一本道のストーリー、全部やっても数時間しかかからないボリューム、ゲーム中の死者と共に銀河鉄道に乗るという、どう考えても救いがあるようには思えないラストなどを考えると良質とは言い難いです。銀河鉄道に乗らず、イーハトーヴォの駅に戻り、主人公はまた次の土地を目指して列車に乗るというエンドを用意してくれてもよかったのになあと思います。それが製作者の意図しないエンドだということはわかっていますが。正直、一度乗ったら二度と帰って来られない銀河鉄道に乗りたいとはこれっぽっちも思いませんでした。だってそこって要するに死後の世界なんじゃないですか? 「銀河鉄道の夜」を知らないわたしにはそう見えました。
めまぐるしく変わる住民たちの台詞や、場面にほどよくマッチしたBGMは良いと思います。台詞が良いというのは、単純にストーリーが進むごとにコロコロ変わっていくのが良いということで、セリフ回しや言葉選びが良いということではありません。
あ、余談ですが憂鬱になるかどうかはプレイ時の気分も大切かな。
今回のわたしのように、よしこれ面白かったハズだからレビュー書くぞ!って意気揚々とプレイすると、自分のテンションの高さをあざ笑うかのような陰気さに「うわあ…」ってなるのかもしれません。
静かな気持ちでプレイすると、心に沁みてくるの…かも。
色々な意味で考えさせられるゲームでした。これ、もっと辛気臭さを減らしてリメイクしたらいいと思うよ!
(2011.02.23)
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